ツィギーとローレン・バコールを見出し、ケネディ夫人のファッション・アドバイザーとなった天才ファッション・エディター、ダイアナ・ヴリーランド。彼女の生涯を描いたドキュメンタリー映画『 ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ 』が公開中。
上映中のシネマライズでは、公開最終週となる2月2日(土)から7日(木)までの6日間限定で、赤いものをファッションに身につけてきた人は1000円で本作を鑑賞できるという「真っ赤なダイアナ割引」を実施する。
「い
い人生は1つだけ。自ら望み、自ら創る」、「スタイルこそすべて。まさに生き方。スタイルなしじゃ価値がない」、「真実でも、退屈な話なら結構」、
「新しい服を着るだけではダメ。その服でいかに生きるかなの」など数々の名言を残している、そんなダイアナの生涯を1本のドキュメンタリーで描いた本作。
ダイアナ自ら「地獄の庭」と呼んで愛した、真っ赤なリビングルーム、常に真っ赤に塗られいたネイルなど、ダイアナのイメージカラー「赤」にちなんだキャンペーンだ。
■ダイアナ・ヴリーランドについて
ダイアナの伝説を挙げれば、数えきれない。20世紀の華麗なるファッション界の中心に、50年間にわたり君臨した天才女性エディター、ダイアナ・ヴリーラ
ンド。1940~50年代の「ハーパース・バザー」でカリスマ・エディターとして革新的な誌面を創り続け、60年代にはそのライバル誌である「ヴォーグ」
編集長として「ミニの女王」ツィギーをロンドンからNYへ呼びブレイクさせ、全く無名だったミック・ジャガーをいち早く誌面に取り上げた。モデルのヌード
を女性誌で初めて掲載。アート界においても、アンディ・ウォーホールのファクトリー・ガールイーディ・セジウィックを時代のアイコンに進化させ、20世紀
を代表する写真家リチャード・アヴェドンもデヴィッド・ベイリーもダイアナのもとで、その才能を開花。懇意にしていたココ・シャネルの仮縫いモデルにな
り、あのマノロ・ブラニクに「靴のデザインをしてみれば?」と提案し、バレンシアガや若きイヴ・サンローランの初の個展を開き大成功を収めた。オートク
チュールからプレタポルテ、ミニスカート、ビキニ、モードとしてのブルージーンズ……現在につながる20世紀ファッションの"はじまり"の中心には、いつ
も彼女がいた。
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